一の郭北側城壁の上部石積みと一の郭北西側隅部城壁の上部石積み(赤線)の積み直しが再開されます。
2021-2022年(令和3-4年度)に「一の郭北西側隅部城壁」の整備工事が行われました。
一の郭の隅にあたる部分で、この隅部の石積みの所々に隙間が見られ、落石や崩壊の危険性がありました。
前回の整備と同様に、一の郭北側城壁の下部を覆っている19世紀後半頃の城壁の積み直し及び内部の確認しました。
劣化の著しい一の郭北西側隅部の石積み(15世紀前半頃)の積み直し整備が実施されました。
今回の整備範囲においても、19世紀後半頃の城壁を解体すると、14世紀中頃~後半の城壁(赤線)が現れました。
発見された石積みは、石を四角に加工して積み上げる「布積み」でした。
その上に乗るかたちで15世紀前半頃の石積みが積まれています。
古い石積みは、きれいな曲線を描くように布積みで丁寧に形成されており、当時の石工技術の高さがうかがえます。
2017-2018年(平成29-30年度)に「一の郭 北側城壁」の整備工事が行われました。
一の郭城壁は15世紀前半頃に形成されたと考えられており、その下部を覆う形で近代(19世紀後半頃)に石積みが積まれています。
両年代の石積みの各所に劣化が見られ、崩れる危険性があったため、解体・積み直し整備が行われました。
整備前の一の郭北側城壁
平成29年の整備工事の際に近代(19世紀後半頃)の石積みを解体すると、その中から14世紀前半頃の城壁を発見しました。
この古い石積みの上に15世紀前半の石積みが構築されている事から、14世紀前半頃に城壁が構築された後、
護佐丸が中城城へ移動してきた15世紀前半頃に、古い城壁の上に石積みが積まれたと考えられます。
写真中央に古い城壁(赤線)が見える。整備工事の際に根石から天端までを確認できました。
発見された14世紀前半頃の古い城壁は長さ約30mにわたって確認することができましたが、東端が15 世紀前半石積の中に潜り込んでおり、全体像については不明となっています。
高さは根石から上端までが約7メートルあり、その上には15世紀前半に積まれた石積が7メートル程積み足されています。
整備範囲の石積みには、すべて番号が振られ、石材ひとつひとつの位置を記録します。
1995年より、国・沖縄県の補助を受け、石積み修復に伴う発掘調査や工事の保存修復事業を実施しています。
発掘調査では13~15世紀頃の中国製陶磁器、地元産のグスク土器などの生活用品や、弓矢のヤジリ、刀のツバ、甲冑等の武具類が出土しています。
また、北の郭のウフガー(大井戸)周辺の調査により井戸の余分な水を処理する排水施設の暗渠(※1)が検出されました。今後発掘が進むにつれ中城城跡の歴史が次々と解明されていくものと期待されます。
※1 覆いをした水路。地下に設けた溝