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沖縄の世界遺産 中城城跡

沖縄の世界遺産/中城城跡は世界遺産(琉球王国のグスク及び関連遺産群)/国指定史跡/日本100名城に指定。

沖縄の世界遺産

沖縄の世界遺産「中城城跡」について

中城城跡は、中城村と北中城村にまたがり東北と南西にほぼ一直線に伸びた標高150m~170mの石灰岩丘陵上に立地する山城で、南東側は15m以上の切り立った断崖、北西側は勾配のきつい傾斜面となっているため城内に至るには正門や裏門に面している東北と南西の丘陵尾根沿いしかなく、守りやすく攻めにくい地に築かれています。

城は6つの郭からなり、城壁は琉球石灰岩で積まれ、自然の岩石と地形的条件を巧みに生かしながら美しい曲線で構成されています。

中城城跡の立地

また、グスクからの眺望は風光明媚で、東側に中城湾や太平洋、西側に宜野湾市や東シナ海、北側に勝連半島や読谷方面、南側に与那原や知念半島を見渡すことができる景勝地となっている。

琉球王国とは、今から約570年前に成立し、約450年に渡り日本の南西諸島に存在した王制の国のことです。明治維新により成立した日本政府が1879年に国王を追放し、沖縄県の設置(廃藩置県)が宣言され琉球王国は滅亡しました。

また、グスクとは、主に12~16世紀に農村集落を基盤として群雄割拠した「按司(あじ)」と呼ばれる領主的豪族層が、自らの居住と防衛の拠点として築いた城のことです。

琉球王国時代の中城城跡

琉球にはおよそ300余りのグスクがあったといわれていますが、中城城跡は去る大戦の戦禍による被害は小さく、県内のグスクの中でも最も原型を留めているため、歴史や琉球における築城技術を知る上でに極めて高い価値を有しています。

中城城の築城年代は不明ですが、14世紀後半に先中城按司が数世代に渡って築き、1440年頃に座喜味城主「読谷山按司:護佐丸」が王府の命令により移ってきて、1458年に自刃するまでの間に、北の郭、三の郭を当時の最高の築城技術で増築したと伝えられています。

護佐丸滅亡後は、一の郭内に間切番所や中城村役場が置かれ、1945年(昭和20年)4月上旬に戦争によりその施設が焼失するまで中城村の行政の中心となっていました。

戦後の中城城跡

戦後は県下初の公園として動物園や遊園地等が設置され、県民の憩いの場として利用されました。

1972年(昭和47年)5月15日、沖縄の日本復帰に伴い、国指定史跡となり、2000年(平成12年)12月2日には「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。さらに2006年(平成18年)4月6日には日本城郭協会より「日本100名城」にも選ばれました。

護佐丸(ごさまる)

護佐丸(ごさまる)中城グスクが、いつ誰によって築かれたのか確かなことはまだわかっていません。もともとは当時の豪族「先中城按司」の居城だったと伝えられていますが、城主として有名なのは護佐丸という人物です。

護佐丸は山田グスクで生まれ、読谷山按司を継ぎ、第一尚氏王統時代の英雄として知られる尚巴志とともに、三山統一を成し遂げました。「按司」とは地方の領主・支配者のことです。

その功績が認められ、読谷山の地を与えられた彼は座喜味にグスクを築いて移り、琉球統一事業に尽力しました。

しかし、その頃勢力を伸ばしてきた勝連城主の阿麻和利を牽制するため、王の命によりほどなく中城グスクに移され中城按司となります。そして1458年、第一尚氏王統第6代王・尚泰久の時に阿麻和利に滅ぼされました。

伝承では、天下を狙う阿麻和利が、首里と勝連の間に立ちふさがる中城按司・護佐丸を除くため、護佐丸が謀反を企んでいると尚泰久王に讒言(ざんげん)をし、王はこの報告を信じて、阿麻和利に護佐丸討伐を命じました。護佐丸は首里王府軍の旗を掲げて攻めてきた阿麻和利軍を見て謀りごとと見抜きつつも、王への忠誠心から「王府軍には逆らえぬ」と、幼児だった三男を乳母に託して落ちのびさせ、妻子もろとも自害します。その後、阿麻和利も讒言がばれて王府軍によって滅ぼされたと伝えられています。

この出来事は「護佐丸・阿麻和利の乱」と呼ばれ、沖縄独特の芸能である「組踊」などの題材にもなっています。もっとも、「忠臣・護佐丸、逆賊・阿麻和利」という構図は首里王府の見方で、阿麻和利こそ農民たちの英雄だったとする説もあり、琉球史最大の謎に包まれた事件です。

ペリー提督

 

1853年、日本の開国をうながしたアメリカのペリー提督一行は、日本本土へ向かう途中に来琉し、島内探検隊を派遣して中城城跡の視察調査を行って城の状況を描いた絵図や測量図面等を残しています。

彼が監修した「日本遠征記」には「~要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築物は賞讃すべき構造のものであった。・・・非常に注意深く刻まれてつなぎ合わされているので、漆喰もセメントも何も用いてないが、この工事の耐久性を損なうようにも思わなかった。~」(一部抜粋)と記されていて、400年以上の風雨に耐えた城壁を築いた琉球人の建築技術の高さに、当時の先進国であったアメリカの軍人たちも大変驚いたようでした。

※参考資料:琉球王国のグスク及び関連遺産群、中城村の文化財、中城城跡パンフレット、中城村 地域散策、歴史の道 中頭方東海道「ハンタ道」

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